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2011年3月25日(金)

福島県いわき市の、グローバル・ミッションチャペル(平キリスト福音教会)牧師、森章師のインタビュー映像です。

22日に撮影されたものだそうです。ご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=cgMbEKGFzP8


牧師 谷清志

2011年3月18日(金)


ずっと以前に読みたいなあと思っていながら読めずにいた本が

「神を愛するための神学講座」水草修治著 でした。


最近、ネットで発見し、無料で読ませていただきました。

それは、こちらのページから。

内容は、組織神学ですが、夕拝メッセージのための原稿とあって、「組織神学入門書」ですね。



特に、最終章の「神を知ること、神を愛すること 横浜上野町教会修養会2」では、ずっと持っていたぼんやりとした疑問が解決した思いです。

どういう疑問かと言うと、

「人のために必要なのは、神・罪・救い、ならば、なぜその順番に聖書が記述されていないか?」ということでした。

神を知ることと、神を愛することとの違い、このことを教えていただきました。ありがとうございました。


そして、ネット配信を決断された水草牧師、また準備に労された皆さん、ありがとうございました。

2011年3月11日(金)

箴言29:18「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。」の意味。


教えてもらったことだが、ここの「幻」は英語でvision(ビジョン)と言われるが、

ここのビジョンとは、目標とか将来のあるべき姿とか言うビジョンではなく、

神の言葉、預言という意味でのビジョンであり幻である。


だから、口語訳は、「預言がなければ民はわがままにふるまう」となっている。

この箇所の新改訳聖書の欄外注でも、

第1サムエル記3:1、詩篇74:9、アモス書8:11,12 が引用されていて、

すべて「神のことば」として「幻」が引用されている。

教会に必要なのは、目標設定よりも、神のことばである。



ウエスレーのノートは、Pro 29:18 No vision - No prophecy; no publick preaching of God's word.

「幻がない―預言がない;神のことばの公の説教がない」(私訳)とある。

他の注解者も、私の見る限りでは、預言のことだと書いてある。

神のことばを求めよう。

谷清志

2011年3月2日(水)

新改訳聖書の著作権にからむブログ記事を読みました。

それは、こちらをクリック。


これでは、新改訳聖書を使用する人を減らそうとしているようなもの。

ブログに聖書の言葉を引用する程度の「使用」を、著作権を持ち出して目くじらを立てるのは、少し行き過ぎではないでしょうか?

もう少し、「営利目的でない場合は例外」とか、規制緩和できませんかね?

新改訳聖書の担当の方には、再考をお願いします。!




そこで、

著作権について考えてきたことをいくつか書きます。

ある讃美グループですが、とても洗練されていて、英語の新しい讃美も綺麗な歌いやすい日本語で翻訳されて、

 それはそれは、みんなが参加したくなるようなグループがあります。

 ところが、このグループは、著作権にとても厳しく、

 楽譜を外部に出さないのです。

 それで、各教会の中でこのグループの歌を使って讃美するのが難しく、

 広がりがありません。

 CDを聞いて、「教会でみんなと歌いたい!」と思っても、歌えない。

 楽譜の出版も、「コピーされて別の人へ2次配布」というのを嫌ってほとんどやっていない。

 残念な残念なケースです。 大きな理由は、著作権です。


日本で、讃美を広めるために苦労しておられる某師の逸話

(また聞きですので、正確さを欠きます)

 ある教会へ音楽奉仕の招待があり、当日をむかえ到着すると、

 「待ってましたー!○○さんのCD、テープにコピーして、教会のみんなに配って聞いてもらってるんですよー!!」

 と。

 心の中では(それは、不正コピーですよ!コピーしないで買ってください!

 と思いながら、何も言わなかったか、「そうですか。」と言ったとか。

 こういう事があったらしい。

 クリスチャンの著作権に対する無知を心に刻む話。


の場合は、著作権に縛られ、宣教が制限されているように思います。

の場合は、著作権で保護されるべきところが保護されず、製作・出版側が大きな被害を受けます。


私は、著作権は、製作・出版側の権利と利益を保護するために必要不可欠だと思いますが、

キリスト教会と宣教・伝道に限って言えば、

著作権をできるだけ緩和して著作権に縛られないようにしなければ、著作権が教会活動を縛ってしまうのではないかと考えます。

(正直、教会の活動に著作権をすべて当てはめると、活動しづらい。)


新改訳聖書の担当の方には、ぜひ再考をお願いします。


谷清志

大阪みぎわ

Author:大阪みぎわ
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